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『うみねこのなく頃に』に見るポストモダニズム
文学批評入門の授業のレポートをうみねこで書いたらA(優)評価がいただけたよ!!!
フォロワーの皆さんが興味を持ってくださったのが嬉しかったのでレポート全文貼っときます
著作権は私にあるはず


『うみねこのなく頃に』に見るポストモダニズム

 本レポートでは、07th Expansion制作の同人ゲーム『うみねこのなく頃に』にはどのようなポストモダニズムの要素が見られるかをテーマに考察する。本作は、本来ポストモダニズムが対象とする20世紀文学には該当しないものの、ポストモダニズムの取り扱う要素を十分に含んでいる物と判断し、今回考察の対象とした。
 本作では大富豪右代宮一族が親族会議のため六軒島に集まり、謎の爆発事故によって数人の生き残りを除き全滅する。そして事故の後、その日の六軒島を舞台にし、事故に巻き込まれた人々を登場人物とした連続殺人物語の書かれた、粗筋の異なるボトルメールが二本拾われる。これによりこの事故は世間で大いにもてはやされるようになり、このボトルメールに便乗し、同じ舞台と登場人物を用いた全く新しい筋の連続殺人物語、「偽書」を書いて世間に流布する人間まで現れるようになる。そうなると六軒島では結局何が起こったのか知りたがる人々も出てくるが、真相は明かされぬまま六軒島ブームは終焉していく。
 本作には最初の二本のボトルメールの執筆者であるベアトリーチェと名乗る女性が登場する。所詮真実などそれらしいまがい物で隠されてしまうものなのだと嘆く一方で、彼女は六軒島の真実を闇に閉ざし、更にその全容らしき内容が書かれたボトルメールを複数発見させることで、六軒島で何が起こったのかを無限に空想し、無限に「偽書」を紡げるようにしたのだと得意げにもする。彼女のこの二つの態度は、郷愁のモダニズムと開き直りのポストモダニズムをそれぞれ象徴しているようにも見える。多くの偽りが真実を遠ざけてしまう悲しみと、その多くの偽りをかえって物語として楽しんでしまう態度である。
 また、彼女は詳しくこう語る。六軒島を「シュレディンガーの猫」のように観測不可能な世界に閉じ込めることで、生きている猫も死んでいる猫も箱の中で同時に存在させられるように、粗筋の異なる連続殺人物語をその日の六軒島に同時に存在させられるようにしたのだと。すると真実というのはもはや存在せず、どんなに真実らしい物語でも他の「偽書」と同等の現実性しか持ちえないということになり、真実と偽りの間にはもはや優劣関係も存在しないことになる。まさしくこれが「リアルなものの喪失」である。ボトルメールや「偽書」はボードリヤールの唱えるオリジナルなき模造品「シミュラークル」であり、それが「偽書」だらけの「ハイパーリアル」な世界を構成するのである。
 以上により、『うみねこのなく頃に』にはモダニズムとポストモダニズムの対照的な物の捉え方と、「シミュラークル」と「ハイパーリアリティ」が見出せると結論する。

参考文献
・ピーター,バリー(2014)『文学理論講義』高橋和久監訳,ミネルヴァ書房
・07th Expansion(2007)『うみねこのなく頃に』
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