私がなんか語る
本やらゲームやら自分のことやら適当に
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


不器用な人付き合いと優しい環境の話
久々の更新。最初ちょっとネガティブだけど、すぐ明るくなっていくよ。


最近エゴグラムをやったが、またAC(Adapted Child)が低かった。いい子じゃない、つまり協調性がないということだ。
昔からだ。「自己チュー」「ワガママ」だとよく言われていた。ASD児にはよくあることのようだ。

気配りできる素敵な女性になりたいと思った。しかし、他人の気持ちの想像が苦手で、心理的距離感もいまいち取れない自分の気配りは、しばしばお節介と化した。
親切にしようとし、空回りし、顰蹙を買い、悩んだ。人付き合いが不器用だった。


中学時代のこと。クラスメートが給食当番をしている間、勝手に彼のランチョンマットをつまみ出して彼の机に敷く。
あと勝手に歯磨きコップに水汲んでおいたり。彼は知らないわけだから、水を汲みに行こうと軽くコップを持ち上げた瞬間に零れて驚く。
お前か?と私を向く彼。せっかくやっておいてあげたのに、とぶすくれる私。
人のものに勝手に触ってはいけないと学ぶのは後のこと。誰が教えてくれたんだろう。親だったかな。
今は人の家で椅子座る時も一言断るぐらい礼儀正しい。


高校時代、英語で点を取れないと零す友人に、勉強の助言をしたら嫌がられた。グチを聞いてほしかっただけのようだ。
英語が得意な自分に零すのだから、助けを欲しているのだと思った。それに、彼女の助けになりたかった。
保健室の先生にこの不可解な出来事を訴えると、「そういう時はただ聞いてあげるだけでいいのよ。助言は、聞かれた時だけ」と教えてもらう。
おかげさまで大学では、英語の助言を求める友人にだけ助言して、喜んでもらえた。


同じく高校時代。何故かつんけんするクラスメートの男子がいる。「文化祭のあのことで怒ってるの?ごめんね」と謝ったが、知らねぇよと返される。
後で担任の先生に「こんな返しはないですよね」とぼやく。
「おいボル箱。文化祭って半年も前のことだろ。そんな前のそんな些細なこと、覚えているはずないじゃないか」と先生。
確かに。そんなに前のことだったのか、とハッとなる。

今考えれば、ASD特有の記憶の仕様なのかもしれない。
些細な嫌なこともなかなか忘れられない。時間感覚もなく頭の中に放り込まれている。
私の場合どうも、特に人に迷惑をかけたこと優先で記憶しているようだ。
だから、久々に会った子が嬉しげにしてくれると、「こんなに迷惑かけたのに!?」と驚きながらも感謝する。

それ以来、数か月以上前のことで謝らないよう気を付けている。掘り起こして再度相手を不快にさせる可能性もあるから。
それでも、謝るか否か迷ったりするのだけれども。

こういう他人との記憶様式のズレも、他人の気持ちの想像の苦手さに繋がってるんだろうな。


こうやって思い返すとなんだかんだ、人付き合いのコツを家族や先生方が教えてくださってるなと思った。本当ありがたいことだ。
「友達とのトラブル→母、兄、先生への相談→トラブルの解消→家族や先生への信頼が厚くなる」
小学校時代にこのサイクルができていたので、相談する習慣が付いていたのだ。人付き合いのコツ等を学ぶ機会もそれだけ増える。

小学一年時に担任が見事なケンカの仲裁をやってのけたので、それで絶対的な教師への信頼ができた気がする。
変な教師に当たったこともあるけど、我が愛する母が教鞭をとっているので、基本的に「教師=いい人」というイメージだった。
(小学二年時は友人曰く、毎日担任に怒られて泣いていたらしい。幸い(?)、この頃の記憶は丸々紛失していて全く思い出せない。)


ここまで書いて気付いた。なんでこれでエゴグラムのAdapted Childが低いのだ。従順じゃん。親や先生に思いっきり。
いや、違う。親や先生が私に合わせて(adapt)くださってたのか。
クラスメートと合わせるのが苦手な自分は、元々子どもに合わせてくれる大人と関わるのを好んだのだ。
ASD児は、同世代より年上や年下と関わることを好む傾向があると本に書いてあった。※1

大人たちにadaptしてもらった良き記憶を思い出しながら、世間とadaptする努力を諦めぬようにしよう。
そう気張らず、せめて必要最低限の社交スキルを身に付けようってぐらいの意識で。
こればかりに時間と労力をつぎ込むわけにもいかないから。勉強や趣味の時間も欲しい。
ゆとりがある時は工夫してみて。疲れた時は一人になって休んで。

今回は上手くまとめられたかな。


※1 宮本信也監修『自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の本―じょうずなつきあい方がわかる』 (セレクトBOOKS 育ちあう子育ての本)
  だった気が…する
スポンサーサイト

「面白い」を素直に受け取れるようになった話
「面白い」とよく言われる。でもアスペ診断が降りると、変な虫を遠目から観察するタイプの「面白い」なのだろうかと、不安になってしまった。
愛する家族も親友も「面白い」と言ってくれるから、そんな冷やかな「面白い」だけを浴びているはずないと思うんだけど。

周囲が喜ぶと勘違いして進んで道化役をして馬鹿にされていた痛々しい思い出もある。
ちょっと好きだった人に「お前つまんなくなったよな」と突き放された思い出もある。

みんなに言われる「面白い」を、素直に受け取りにくくなった。

アスペ関係を調べていると、頭の足りない人の馬鹿な言葉を皆が嗤っているのではないかという疑いすら抱いてしまった。



でも、魅力的な「面白い」アスペをつい先日発見した。

『プロチチ』(全四巻)の主人公である。簡単に説明すると、主人公の主夫が子育てするけど話の最初で自分のアスペが発覚して!?みたいな。
これ漫画としても面白いからオススメ。アスペ×育児のほのぼの系。でもアスペの強み弱みを隠さず描く。ユルさとシリアスの塩梅が見事。
まだ1,2巻しか読んでないけど最終巻も良いらしいので楽しみ。

それで、プロのチチたる主人公なんだけどね。ちょっと堅くて妙なクスッと来るセリフ回し。独特の視点からのコメント。友達にしたくなるような人だ。
というかかわいい。前向きで頑張って論理的に分析しててかわいい。あれ、自分みたいだな。
そうか。この人は自分みたいな人なのだ。私が私を外から見るとこんな感じに見えるのかもしれない。

主人公「雑談苦手」 嫁「話ユニークで面白いのに勿体ない」
このシーンとかまんま私と母の会話だしね。

今まで言われ続けてきた「面白い」は、肯定的なそれも含まれていると素直に認められるようになった。
自分に近くてかつ魅力的な人見ると励まされるね!人生の先輩というか。

プロチチは面白いアスペだ。私も面白いアスペっぽい。魅力的な面白いアスペは存在し得るのかもしれない。まぁ自閉症スペクトラム(連続体)だしそりゃ存在するだろう。


アスペっぽい人って創作で出てくる時はギークみたいなのが多いじゃん。
プロチチは日常系のほのぼのユルい公認アスペだ。そうそう、こういうのが見たかった。

私はギークよりプロチチみたいなユルいのがいい。

彼は周囲に大分助けられてるな、と思うけど、私は彼ほど周囲に負担をかけないように、でも彼みたいにユルさを出せたらいいな、と思う。

あと、やはり前向きな人は見ていて気持ちがいいね。
前向きに誠実に頑張る彼の姿に背中を押されるような気がした。


「面白い」と感じるかどうかは受け取り手によるので「自分は面白いのがアイデンティティだ」みたいなのは危険。
普通な言動がウケて、笑わせようとすると打率が低い、天然タイプかな?
「面白い」と言われたら、自分のアクセサリーが褒められた程度に軽く、でもありがたく受け取っておこう。

基本的に真面目だが面白いと評され易いぐらいの自己認識でいこう。

※2016/5/9追記
記事名変更しました
旧記事名『「面白い」が自己肯定感に繋がる話』
「自己肯定感が付いてきたから面白いも素直に受け取れるようになったんじゃね」とフォロワーさんに指摘されたので。
確かに順序がおかしい。

ただの自分を労う独り言
努力って方向と量だと思うんですよ。勉強にしろコミュ力にしろ。

アスペと診断される前の自分は、本当に不器用な努力をしてきたな…と回想してつくづく思うのです。
周りに迷惑をかけ、自分も傷だらけになり…。
ストレス、徒労感、挫折感、学習性無力感、ひいては自分か周囲への憎しみ…。(私は前者寄りだったけど)

自分の正体がわかれば努力の指針もわかるし、先人たちのノウハウも参考にできるんですよ。

大1で診断が下りて、大2で正しい努力をし、大3で自分に自信を取り戻して対人でもほぼ常にリラックスできるようになり…
前の記事でもまとめたように、一つ一つは小さい些細な努力なんですが、やはりそれを積み上げて、今なりたかった自分になってるんだな、と。

ニッチな悩み、ニッチな努力…。
なかなか誰かに報告しづらいけれど、せめて自分ぐらいは自分を褒めてやりましょう。よく頑張った。私。

自分の困りごととその対策のはなし
ASDっぽくて困ってることで、とりあえず自分が実践した対策とその結果をまとめてみました。


【問題】対人距離が近過ぎる。
【対策】同性相手には肘から先を伸ばした距離、異性相手には腕を伸ばした距離を開けて話すよう気をつける。
【結果】成功。「近いよ」と言われることがなくなる。
     副産物として異性不信が治る。異性のパーソナルスペースを侵害してのトラブルがなくなったからか?
     いい異性に多く出会えたことも要因。

【問題】相手を怒らせても理由がわからないことがある。
【対策】NGワード等を暗記。(相手の容姿に不用意に言及しない等)
     親しい人に相談する。(こういう会話、状況で私がこう言ったら怒っちゃったんだけど何で?等)
【結果】トラブルは減るがまだ少し残っている。ノウハウを積むのかな。
【次なる対策】礼儀作法、マナーの本を読む。秘書検定まで取る必要は…現状無いか?


【問題】マシンガントークで相手を引かせることがある。
【対策】マシンガントークはtwitter、話が合う人相手に限定。他の場面では聞き上手になれるよう頑張る。
【結果】マシンガントークの発散は成功。
     しかしその場で聞き上手になろうと頑張っても、興味がない場合相手との会話をすぐ忘れてしまう。
     どうしよう…。
【次なる対策】ある程度話し上手になる訓練をする。
 
※自分も相手も同じ人間で仲間なんだと思うとリラックスして自然と親しみや興味が少し湧いてきた…ような。

【問題】話し方が冗長になりがち。
【対策】何でもとりあえず考えをまとめて整理してから話すようにする。twitterがいい訓練の場になった。
【結果】人と話していて対等に話していると感じる場面が増える。相手に馬鹿にされているような感じがグッと減る。
     ブログの文章が読みやすいと褒められた!!文学批評のレポートも高く評価される!

【問題】話が飛躍して相手を驚かせてしまう。
【対策】ワンクッション置く。(「話変わるけどさ」「ごめん、話戻るけどさ」等)
【結果】「うんいいよ、どうしたの?」等、反応は上々。


【問題】人の顔、名前、プロフィールが覚えられない。
【対策】手帳付属のメモ帳にプロフをメモって知り合い辞典を作成する。
【結果】覚えてきたが、相手のプロフを覚えきっていない不安で人付き合いがややぎこちなくなる。
【次なる対策】プロフを覚えていようがいまいが以前のように明るく挨拶し、たまに世間話をしてみる。
         リラックスが大切。知り合い辞典はあくまで補助的な物。

【問題】軽く人間不信。(人とすれ違いまくってきたから)
【対策】親友と遊ぶ→趣味のオフ会→サークル→接客バイト、と人付き合いのステップを上げていく。
     転んでも泣かない。
【結果】成功。特にコンビニバイトは賭けだったが大成功した。大学内のコンビニのため、店員も客も質が良い。
     簡単に喜んだりイラついたりする人々を見て、人間の感情は簡単に揺れるものなのだと余裕を持てるよう
     になった。相手の顔色をあまりびくびく窺わなくなった。
     また、バイト仲間はネームプレートを下げているためすぐ名前を覚えられるし、あまり会話しなくても一緒に
     頑張ってるだけでちょっと親しくなる。


【問題】ストレス爆発+フラッシュバックのコンボで苦しむ。
【対策】こまめに休んでストレスを解消する。大学の保健センターでカウンセリングを受ける。
【結果】成功。また、他の対策の成功により日常生活でのストレス自体が減る。
     カウンセリングで過去の対人トラブルのトラウマを克服。


【問題】飲み会が苦手。騒がしい所だと声が聞き取れないため。(カクテルパーティー効果が弱い)
【対策】そもそもあまり参加しないようにする。飲み会、オフ会の前に寝たりして体力を回復しておく。
【結果】やや聞き取り易くなる。体調が関係しているようだ。
【課題】三泊四日のサークル合宿等では会食が立て続けに来るため休むタイミングが少なく辛い。
     参加を控えるのか…?

とりあえずここまで。また加筆するかも。

挙手のはなし
小学校時代からよく挙手をしていた。


小学校時代。他の子に混じって挙手する私。答えがわかる前に手を挙げることすらあった。
中学時代。挙手するのは専ら私。
高校時代。やはり挙手するのは専ら私。先生まで困惑した顔をする始末。

他は誰一人手を挙げない。馬鹿な。ここはそれなりの進学校だぞ。これぐらいの問題わからないはずがない。
あるいはみな徒党を組んで、挙手しないことで先生たち(大人)へのせめてもの反発を見せているのか。
聡明な顔をした彼らがそんな青臭いことをするだろうか。

あるいは挙手をすることは恥ずかしいことだという風潮でもあるのか。
友人に問う。「私挙手してるけど、ひょっとして駄目なのかな」
「別にいいと思うよ」「そうか、ありがとう」
とりあえず迷惑はかけていないようだと判断し、その後も挙手をし続ける。


それにしても自分だけが挙手しているのでは、まるで自分が目立ちたがり屋のようできまりが悪い。

何故私が挙手していたかって、惰性である。小学校時代それが良しとされたから、中高でもそれを何となく守っていたのだ。

挙手をしないという手は選ばなかった。先生が問いかけて、みな誰も回答せずシーンとする場面は、いかにも時間の無駄に見えて嫌だったのだ。だったら誤答でもいいから私が答える。

「教室は間違える場だ」と小学校時代の教師が言っていた。わからないならせめて誤答でも「わかりません」でもいいから答えるのが誠実なのでは?というか聞かれたら何かしら答えるのがコミュニケーションの基本では?
(失礼。沈黙も一つのコミュニケーションですね。「基本」を決めつけて押しつけちゃ駄目ですね)


なんでみんな挙手しないんだろうか。ひょっとして自分がおかしいのか。
自分には秘めた目立ちたがり願望でもあるのだろうか。
目立つことをしてみる。大して気持ちは満たされない。


抑うつ状態の辛い時にも頑張って挙手をする。「ボル箱、無理しなくていいんだぞ、保健室に行きなさい」
保健室に行く。「文化祭以来なんか授業に集中できないんです」「ボル箱ちゃん。文化祭終わってからもう二週間も経つよ。軽い燃え尽き症候群ね。今日はもう帰って休みなさい」
常に頭に重しが乗っているような感覚だった。最終的に漢方薬を飲んで治す。

「辛い時は頑張って挙手しなくてもいい」というのをこの時学んで気楽になった。
というかそれにずっと気付かなかったのもやはり思い込みの強さかなぁ。

燃え尽き症候群を引き起こした文化祭での辛い記憶も協力の苦手さが原因にあるだろうな。その話はまた今度。


結局みんなが挙手したがらない理由がわからぬまま。他人の目を気にして恥ずかしがっていたのかな?
私は恥ずかしいと感じるポイントが人とズレてるようだから、こうやって想像するしかない。
みんな他人の目を気にするようになっていくのに私にはなかなかそれが来なくて、何となく小学校時代のルールに執着していたというのが正解かね。


大学時代。挙手する場面なんてほとんどない。気楽。


以上。挙手如きでもにょもにょ考えてた学生時代でした。
これも一種の些細なことへのこだわりでしょうか。まぁどうでもいいけど。




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。